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第10回トレイルランナー鏑木毅×GONTEXテーピング
コラム【全12回】

『本場アメリカ100マイルで初優勝 BIG HORN100』~ 前 編 ~
鏑木 毅

【UTMBの呪縛から逃れたい】
38歳から43歳まで6年間に及ぶ最高峰UTMBの挑戦は私の人生を大きく変えました。表彰台に立つこと4回。苦しくとも夢のような6年間でした。
そんな栄光とは裏腹に精神は限界に達していました。40歳を超えて落ちてゆく体力のなか、毎年高まる期待に沿う走りをするためにもがき苦しむ毎日、そして毎回メディアに追われるプレッシャー。年間たった一度の大舞台に備えて一年間、全身全霊を込めて過ごす日々に心はどんどん疲弊してゆくのです。
もちろん皆さんに応援され、メディアに注目されることは嬉しいことであり、本当にありがたいことだと思いつつも、年齢的にピークを過ぎたことを既に悟っていた私には、この時の日本のトレイルランの存亡を一身に背負わされたような雰囲気に耐え難いストレスを感じていたのでした。
何度も挑戦していると160kmにも及ぶ美しい道のりもほぼ100mごとに頭に入り、次第にトレイルランニング本来の限界に挑戦しながらも美しい山々を楽しむ旅という魅力が薄れてゆくのです。はじめのころは夢のような憧れのトレイルも、世界一の称号を得るために闘う道となり、それはまるで味気のない競技場のトラックのように見えてくるのです。

2012年のUTMBは私にとって全盛期最後のものになりました。もうこれが最後と思い悔いのないよう全力で臨むと意気込んでいた矢先、レース前日に悪天候により急遽170kmの道のりが100kmに短縮となったのです。絶望感に包まれました。これまでのUTMBでは100km以降の最終版の粘りでこれまで表彰台を掴んできたのです。100kmではその力を発揮することなく終えてしまいます。
練習でも100kmから先をしっかりと走れることに全てをかけて準備してきたにも関わらず、それが披露できないことに一時は出場を取りやめることを考えましたが、最後を見事に飾りたいとの思いが勝りスタートラインへ。
既に43歳。距離短縮は私には圧倒的に不利な状況でしたが、今まで培ってきた経験と耐える心を駆使して、これだけの強豪が集結するなかでも最終版に順位を上げ10位で表彰台に上がれたことは今でも大きな誇りとなっています。最高位の3位に比べれば劣るものではありましたがUTMBでやるべきことは全てやったという満足感に包まれていました。
レースを終え、シャモニの街を去る時に、自動車の車窓から見るモンブランを眺めながら「もうここに戻ることはないだろう」と考えていたのです。
【長年夢見てきた新たなトレイルランを探す旅へ】

世界が注目するUTMBを去ることは一抹の寂しさもありましたが、ようやく大きな荷物を肩から下ろすことができた安堵感に包まれていた。

「世界中のトレイルを旅するなかで楽しみたい」。
最高峰UTMBでの成果は、最も注目されるし自分をアピールするにはこれ以上の舞台は存在しません、しかし100マイルはトップ選手であれば年間1レース、無理しても2レースが限界です。UTMBに出場し続ける限りは、どうしても世界中に存在する素晴らしい100マイルレースの存在に眼を向けることは永遠にできないのです。

UTMBにピリオードを打ち、2013年からプロトレイルランナー鏑木毅の新しいステージがいよいよはじまったのです。
その第一弾に考えたのがアメリカ・ワイオミング州の「BIG HORN 100」という100マイルレースでした。
ワイオミング州は全米50州の中で面積は10番目に大きな州にも関わらず、人口は僅か50万人余りと最も少なく、ロッキー山脈の東側に位置し、州の西半分は山がちなロッキー山脈、そして東半分はグレートプレーンズと呼ばれる広大な平原が広がります。ビッグホーン100が開催されるビッグホーン山脈は数ある山脈が集まる総称であるロッキー山脈の一部分を成してい山地帯です。

100マイルトレイルレース発祥の地アメリカの最高峰はウエスタンステイツ100(2009年2位、2011年5位)は既に走っており、100マイル本場のアメリカの大会で伝統があって強豪選手が集まる大会を探していたところ、北米に精通している友人から「絶対にビッグホーンがいいよ」との答え。とにかくアメリカらしい雄大な風景、走り易く、大会を取り巻くコミュニティーが素晴らしく、アメリカのトレイルランニング文化を知る上でも最もお勧めのレースとのことでした。
このビッグホーン100というレースはロッキーマウンテンスラムというロッキー山脈で開催される権威ある100マイルレースの一つで全米の強豪選手が集結し、彼らと腕試しをしてみたいとの思いもありました。

今回の旅では、トレイルランメディアの岩佐幸一さんに同行して頂きました。
成田からカナダの太平洋側の拠点都市バンクーバーを経由しデンバーまで約15時間のフライト。そしてデンバーからレンタカーで約800kmひたすら北上します。グレートプレーンズと呼ばれる大平原地帯を延々進みます。
ほぼ全く景色が変わらないこの風景に驚かされるとともに、800kmという距離が地図で見ればアメリカ大陸全体から見ればほんの僅かな距離であることにも驚かされるのです。

そしてレースの拠点となるワイオミングの拠点都市シェリダンに到着し受付会場へ。これほど名前が知られる大会ですが運営はいたってシンプルです。
選手もスタッフも顔なじみという雰囲気で、長年UTMBといったヨーロッパの大規模大会に慣れてきた私にはこのアットホームな雰囲気が、ちょっと拍子抜けするような感じでした。
会場で感じたのは私に向けられる目線。アメリカの内陸の州であるワイオミング州は白人が圧倒的に多く、アジア人である私は好奇な存在に見られていたのでしょう。今までUTMBで何度も表彰台に立って来たので、ヨーロッパの大会では私のことを知ってくれている人も多かったのですが、このワイオミングではほぼ皆無で、この点もかえって気が楽に走れる大きなメリットとなりました。
会場を歩いていると老人がふらっとやってきて「久しぶりに戻ってきたか」と。
どうやら誰かと勘違いしているようでしたが、好奇な目線で見られながらも大会の雰囲気を楽しんでいる自分がいました。

大変だったのは食事です。レース前には胃腸の調子を整えるためにどこの国でも日本食をできるだけ食べるようにしているのですが、ここワイオミングにはどうしても見当たりません。開き直って今回は現地の食事を楽しもうという趣向に変えました。全てがリラックスしてメンタル的にもとても良いかたちでレース前の時間を過ごすことができたのです。
そしてレース当日、岩佐さんの運転するスタート地へ。いよいよ私のプロトレイルランナーとしての第二ステージが始まるのです。

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写真:2012UTMBの表彰式。この大会が私にとって全盛期最後のUTMBとなりました。この時既に43歳。ベスト10では最年長。この年齢でアジア人として唯一、自分にとって不利な100kmというカテゴリーで表彰台に立てたことに大きな満足感をえて、この最高峰の舞台でやるべきことは全てやりつくした気持ちで一杯でした。この表彰台が第二ステージへ進む大きなきっかけとなりました。

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写真:コロラド州の州都デンバーから延々800kmのドライブ。左ハンドルで日本とは逆のレーンということを除けば、さほど違和感なく運転できます。とにかく道が広く走り易い。
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写真:アメリカ中部の広大な平原グレートプレーンズの風景。延々800kmもこんな景色が続きます。ほぼ信号はなし。

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写真:現地に到着後すぐにレースコースを試走。オレンジのテープがコースを示す目印。何気ない森の景観ですが、この場所で既に標高3000m近い高さ。さすがに走っていても呼吸が苦しい。ロッキー山脈周辺で開催されるレースは
さして高い標高にいるとは感じさせられない雰囲気にも関わらず、大概2000mは越えており微妙な体調の狂いが生じます。

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写真:ホテルの部屋でレースの準備。長時間に及ぶ100マイルレースでは装備品の準備で半日くらい必要です。ベッドの上にはお世話になる大会主催者などへのプレゼント。日本からの伝統的なグッズはお土産としてとても喜ばれます。
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写真:レースで使用するウエァー類一色。レース前はホテルの一室はこんな感じで雑然としたものになります。
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写真:どこの国のレースでもできる限り食べなれた日本食を食べるようにしているのですが、このワイオミングでは残念ながら日本食レストランが見当たらず、いかにもアメリカという食事。でも安くてボリュームがあってしかも美味しい。

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写真:レース前日、各エイドステイションごとに預ける装備品やエイド食を自分で所定の場所に置きます。合理的、これがアメリカンスタイル。

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写真:白人が圧倒的に多いワイオミング州ではアジア人が珍しいのか遠目で見られたり、話しかけられたりします。この方は長年ビッグホーンに出場し続けるローカルヒーローの方。
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写真:大会前日の健康チェック。さすがに100マイルレースとあって入念に問診もあり、責任感あるしっかりとした運営のレースと感じました。

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写真:レース前日の夕食。とにかくボリュームが凄い。少々胃もたれ気味。

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写真:レース当日の朝。滞在しているホテルからビッグホーン山脈の眺め。
レースコースは手前に広がる街からスタートし、前衛の山を越え、白い雪の頂きを往復し、再び街に戻る往復コースです。
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写真:スタート地点の賑わい。全米から猛者が集結。ヨーロッパの大会ではないので誰が強いのか正直良くわからないが、皆楽しそうな雰囲気なのが印象的です。
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写真:アメリカのレース前に必ず行われる儀式。アメリカ国家斉唱。

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写真:午前9時スタート。400名の選手が100マイルを目指します。

《ミニテーピング講座》
~ トレイルランナーなら一度は経験する
          腸脛靭帯炎に効くテーピング術 ~

今回はランナーであれば一度は聞いたことがある故障「腸脛靭帯炎」に効くテーピングをご紹介します。腸脛靭帯は太腿の外側部、膝の外側からお尻まで到達する人間の体のなかで最も長い腱になります。長い距離や固い路面、あるいはトレイルでの長時間におよぶ下りパートなどで発生するケースが多いようです。一度痛みが出てしまうと、なかなか痛みが引かない難治性の障害ですが、アキレス腱や足底靭帯などの故障と比べると、必ず治る見込みがつく障害なので、辛抱強く治癒を待つ忍耐強さが必要となります。私もこれまで3回ほど経験したことがありますが、故障中は水泳以外は代替えのトレーニングが不可能であるため、長年の運動歴のある方にとっては本当に辛い故障で、よく「腸脛はメンタルをやられる故障」と言われます。

最も大切なのは予防です。インソールなどで調整する方法など予防法は多々ありますが、最も効果的なのはやはりテーピングです。腸脛癖のある方、アップダウンが見込まれる強度の高いトレーニングの前、また腸脛靭帯炎から復帰した方は是非ともぶり返さないようにこのテーピング法を実践して下さい。

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写真:まずはテーピを脚に当て、おおよその長さを測ります。
そして、膝のお皿下から貼ってゆきます。この際に大切なのはテープを伸ばさないこと。椅子に座り軽く膝を曲げた体制で貼るのがベストです。

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写真:大転子と呼ばれる大腿骨の付け根部分(脚を前後に振った時に脚の付け根の外側でグリグリと動く箇所)に向けて大腿部の外側部を少しずつ貼ってゆきます。テープは伸ばさないよう貼るのがポイントです。

かなりシンプルに貼れるテーピング術なので手軽に貼れかつ効果大です。
是非とも試して見てください。

 

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