Home / インフォメーション / 【鏑木毅コラム全12回、其の1】ー私とゴンテックステーピングとの出会いー

 

2020年4月1日

『私とゴンテックステーピングとの出会い』

プロトレイルランナー  鏑木 毅

 

【実はテーピングには良いイメージがなかった】

箱根駅伝を目指してきたロードランナー出身の私はテーピングにはもともとあまり良いイメージがありませんでした。
これは笑い話なのですが、当時学生長距離界を引っ張る存在だった先輩が故障明けの復帰戦でテーピングを貼り出場したのです。後から聞いた話なのですが先輩は既に完全に復調していたのですが、敢えてテーピングを張ることでライバルを油断させたのことでした。その甲斐あってか見事に優勝。当時テーピングは怪我した選手が使うというネガティブなイメージのものでした。
テーピングのイメージがいかにあまり良くないものだったのかということが分かります。当時のテーピングのカラーが目立たない肌色しかなかったのも頷けます。陸上競技の世界では今でもこんな考えが一般的ではないでしょうか。

28歳でトレイルランニングに出会いました。
自然のなかを風をきって駆け抜る爽快感にいっぺんに取りつかれてしまいました。でも楽しいぶん今まで経験したことのないほどの激しい脚のダメージにはいつも閉口してしまいました。
特にトレイルラン大会に出場するようになって感じたのは、ロードとは全く異なる種類の足のダメージ。ロードでの筋疲労ももちろん激しいものがありますが、トレイルランのそれは遥かに凌駕するもので、まるで足全体が石膏で固められ身動きがとれないような状態。特に後半。当時はトレランレースの中盤以降にダメージで足が動かなくなりペースダウンするのは仕方がないことと思い諦めていたのが現実でしたが、依然として当時の私にはテーピングを使うという発想はありませんでした。

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写真:2006年の日本山岳耐久レース。トレイルランを初めた初期のころはテーピングを使用することはなく、いつもレース後半はライバルとともに脚の痛みと石膏のように固まった脚をいかに動かし続ければ良いかの闘いだった。
【車椅子での帰国となった最初のUTMB】
転機が訪れたのは初めての100マイル挑戦となった2007年の世界最高峰の舞台UTMB参戦(38歳)。これまで走った最長距離が70kmほどでしたから予想通りこのレースで手痛い洗礼を受けることになりました。コース中間の80kmを過ぎてから大腿部、ハムスト、臀部、脹脛、腰などありとあらゆる部位が痛み出し、はじめは筋肉痛の症状、そして次第に微細な筋損傷が発生し、終盤には内出血した血液が足のなかでジャブジャブ言っているような激しいダメージを受けました。
かろうじて完走はしたものの文字通り一歩も動けない体となってしまい、帰りの飛行機のトランジットは車椅子、帰国後もしばらくはランニングもできず、完全に復調するまでに半年を要す結果となってしまいました。

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写真:2007年UTMBの140km地点(ゴールまで20kmあまり)。あまりの脚の痛さと苦しさからサポートスタッフからゴールまでどれくらいアップダウンがあるのか聞いているところ。簡易なテーピングはしたもののほとんど生足で、ゴール後に完全復調するまでに半年を要した。

 

【当時テーピングは日本人の秘密兵器だった】
世界の舞台でベスト10入りをしたいと思う反面、再びあのようなダメージを負ったら決して若くはない年齢を考えれば二度と走れなくなってしまう恐怖に襲われ、どうすれば良いのだろうと散々思案した結果、その鍵となったのがテーピングだったのです。
満を持して臨んだ翌年の2008年UTMBで完全防備のテーピングを施し日本人で初めて表彰台。しかもベスト3まであと一歩となる4位を掴むことができました。この結果は自分自身全く信じられないもので、この大会がプロトレイルランナーを決意した大きな分岐点となりました。
この時に感じたのは最終版まで「脚が生きている」という感覚。もちろんこの一年十分な準備をしたことも大きな理由ですが、前年の破壊的なダメージが嘘のよう。確かにスタート時点では覆われたテーピングで多少の煩わしさを感じ、素足の方が心地よく感じるかもしれませんが、中盤以降しっかりと脚を守ってくれ、結果的には後半まで脚持ちし最後まで思うように体が動き続けることができたのです。まるでハイブリッド車のようにレース全体を通してエネルギーを均等配分して動き続けている感覚でした。
効果は身体的なものだけではありませんでした。レース中に素足の選手を見ると「僕はテーピングで守られている」と思うことで断然精神的に優位に立つことができました。100マイルは最後は心の勝負ですから、こう思えることは勝負の分かれ目では大きな効果を及ぼすのです。
海外から来たアジア人でこの順位に入ったことは初めてのことだったので、レース後にメディアの方々からテーピングのことについて尋ねられました。「そのテープには何か薬が塗ってあるのか」、「そんなもの邪魔にならないのか」と。まだ当時、西欧ではあまりテーピングが知られていなかったのです。
私は敢えてこう答えました。これは日本人の秘密兵器なのです

ウルトラトレイルを目指すようになり、トレーニング量は爆発的に多くなりました。これまではテーピングはここ一発のレースの時だけ使っていましたが、日常のトレーニングから使うことで高いレベルで追い込める上に、故障のリスクを軽減できることに気づきました。まさにテーピングこそがウルトラトレイルで私を世界に導いてくれたと言っても過言ではないと思います。

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写真:2008年UTMB。日本人初の表彰台を。前年の苦戦が嘘のような快走。もちろんダメージは大きかったが僅か一か月半後には70kmレースに出場できるほどに疲労を抑えることができた。

 

【ゴンテックステーピングとの出会い】

UTMBから世界各国で開催される大会に戦いの場を広げるなかでゴンテックステーピングに出会いました。ウルトラトレイルでは20~30時間の長時間に及ぶ競技時間、レースによっては川の渡渉でずぶぬれになったり、40度を超えるような茹だるような暑さのなか大汗をかきながら走り続ける過酷な環境下でも最後までしっかりと脚を守ってくれたのがゴンテックステーピングでした。

試しに裏紙を剥がしたゴンテックステープに息を強く吹きかけてみると、その息がテーピングを通り抜けることが確認できると思います。要するに通気性が高い生地を使っていることにより、汗をかいても水に濡れても剥がれにくいという特徴があります。
これまでゴンテックステーピングを施して剥がれるような致命的なトラブルは一度もありません。ただでさえ綱渡りのような危うい道のりですから、僅かなストレスも取り除きたいというのがアスリートの本音なのです。
また、ゴンテックス独自のカットテープも本当に助かっています。
各筋肉を包括的にサポートし、しかも簡単に貼れる。
海外レースなど唯でさえナーバスになり一人で複雑なテーピングを自力で行うよりは、既に専用にカットされたこのテープを使うことでずいぶんと今まで助けられてきました。

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写真:カットテープが代名詞のゴンテックステーピングはトレーナーがいない海外レースでも一人でも貼れ、しかも剥がれにくい。写真は夕闇迫る2014年ハードロック100(アメリカ・コロラド州)の100km地点。この後、闇夜のなかコース最高峰標高4200mのハンディーズピークを越える。

また様々なカラーのマルチカラーテーピングも気に入っています。
私が特に気に入っているカラーが迷彩柄。自然の中で楽しむスポーツだからでしょうかこの色のテーピングをすると何故か心が落ち着きます。

年齢のせいでしょうか最近はダーク系の色の選ぶことが多いのですが、気が滅入っている時には敢えてビビッドなカラーを選ぶことで気持ちを高めるようにしています。色を変えるくらいでと思われる方も多いようですが、実際に心理学の専門家からも色彩で気分を変えることで、大きくパフォーマンスに影響を及ぼすと言われています。是非皆さんも試してみてはいかがですか。

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写真:2014年ハードロック100。このレースでは160kmのなかで数多くの雪解け水で水量の増した河川の渡渉が何度となくある。28時間のレースを終えゴンテックテーピングは最後まで脚をしっかりと守ってくれた。

今回はこのへんでお開きとなります。
毎月、こんな感じで私の体験談を綴ってゆきたいと思います。皆さんに有用な情報をできる限り盛り込んでゆきたいと思いますので是非次回もご覧ください。
次回はトレイルランニングでテーピングが何故有効なのか、また皆さんにも役立つ鏑木流のテーピング術などについて書かせて頂ければと思いますね。

プロトレイルランナー   鏑木 毅

コロナに負けるな!!

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